「世界には推ししかいないんだ。」

2・5次元の感想や俳優の茶の間ライフ中心にアイドルや声優についても書いてるブログ。

死にたがりのオタクの生きる意味と自分の半生語りしてみた。

 お久しぶりの更新です。

 なんだかブログを書きたい気分になれず1か月近く経ちました。

 5年のニート生活を経てテレオペ1年やったら鬱ぶり返しました。

 2か月までしか休職させてくれないそうで解雇されました。

 今また人生どん底です。

 職場の人はこいつコロナにかかって辞めたのかぐらいにしか思ってないでしょう。

 コロナはオタクを苦しめますね。数々のイベント中止。

 私元来引きこもりなので、外出禁止令出されると安心するけどダメなんですよ。

 だってまた仕事しなきゃお金ないじゃん?オタクできないじゃん??

 私はぶっちゃけ死ぬのは怖くないし小学生くらいから早く死にたいと思ってきました。病気や災害で誰かが亡くなるたびなんであんないい人なんだろう?私が死ねばいいのにって。

 こんなの頭おかしいと思われるだろうけど本当にずっとそう思って生きてきました。不謹慎ですね。

 でもさ、私には生きにくい世の中なんです。オタクすることだけが生きる支えだった。

 どうして生きにくいかって

 小学生くらいから自律神経系が弱く休みがちだった

 人が嫌いで友達がいなかった

 休み時間に本読んでるだけで同級生に絡まれた

 好きな服装でおしゃれしてるだけで疎まれた、悪口を言われた

 私はいじめっこたちの憂さ晴らしをスルーしまくってきた。バカだったんです私。

 世渡りってもんがわかってなかった。

 でもバカで上等。

 中学になってコイバナについていけず変な奴扱いされる

 周りは全員バカだと思ってた

 クラス替えで知り合いと離されハブにあって不登校になる

 私の子供時代、いいことなんてないように見えるでしょう?

 でも

 私には本や映画の世界があった。おしゃれで自分を表現できた。大人に褒められた。

 文章を書くのが好きだった。アイドルが好きだった。(今も好きだけど)

 アイドルの名前は誰よりも知っていた。

 アイドルの曲に出てくる英語を和訳したら、英語が好きになった。

 そして変なわたしの周囲にはなんだか変な女の子ばかりがいた。友達だ。

 大学生までこのスタイルを貫いた。

 また学校でハブにされた。学校辞めたかった。死にたくて仕方なかった。

 現実逃避したのは二次元だった。コスプレ沼にどんどんはまっていく。

 年上の友達がみるみるできた。

 大学にいてもいつもコスプレのことを考えていた。

 ずっと憧れてたロリィタもやった。痛いコーデしてたなと思うけどやってよかった。

 ロリィタ服で街を歩いたら何も怖くなくなった。

 やっぱりいじめっこのことは相手にしなかった。

 私の現実逃避は限りなく二次元に近い、現実への逃避だった。

 コスプレをするのに最適な職場に就職した。やりたくもない退屈な仕事だった。

 3年勤めたけど鬱になって辞めた。せっかくできた友達に嫌われたくなかったから

 眠れなくても食事がとれなくても約束してたイベントには行った。

 目の前に出された食事が食べれなかった。私は外食恐怖になっていた。

 結局沼だったコスプレの世界でも人間関係がうまくいかなくなった。

 もう限界だった。人に騙され、利用され、付きまとわれ。私の脳はもう全うな判断ができなかった。

 私は5年続けたコスプレ活動を辞めた。友人は二人くらいしか残らなかった。

 2年間鬱と不安障害と闘った。

 ひどい不眠症はいつから続いていたっけ??

 生きることに絶望していたある日、ネット配信で刀ミュを観た。

 目をみはった。

 キラキラがそこに詰まっていた。

 刀ステも配信で観た。そこで出会ったのが歴代一人目と二人目の推しくんだった。

 一人目の推しくんのインタビューを読みに本屋に通った。

 そこで思った。「どうしてこんなつらいことをがんばれるんだろう??」

 そこで私は実験をすることにした。努力したら何か尊い景色が見えるのか?

 私はいろいろな相談機関に駆け込んだ。

 中途半端な障がい者だった私は、時に「あなたは元気」などとレッテルを張られ追い返された。

 身体障がい者を恨んだり、国を恨んだり、福祉を恨んだりして。

 誰も私の辛さをわかってくれないと泣いていた。

 福祉施設ですらろくに人と話せなかった私が働けるはずなどなかった。

 ある日手にとった1枚のチラシで私の人生は好転した。

 働けない女性のための講座のチラシだった。

 そこに行った私は人と話せた。コスプレ活動を楽しんでいたころの活発な自分を取り戻した。そこから次に行った就労支援でゲーム好きな仲間がたくさんできた。

 仲間という意識を感じたのはそれが初めてのことだった。

 仲間に追いつこうと就職活動をした。単発や短期の仕事を経てテレオペでは今までにないくらい頑張った。

 仲間とぶつかったりもした。

 ものすごく頑張ってみたけど、得たものも失ったものもある。

 意外な出会いがあるからこそ、当時好きだったあの舞台俳優さんはその仕事を誇っていたのかもしれない。

 家にいてモニター越しに見るだけではわからなかったことがたくさんあった。味方もいたし、そんなに会社もこわくなかった。褒められたこともあったし感謝されたこともあった。私が私でいることを否定しないでいてくれる場所があった。

 鬱になったのは客のせいだ。認めてくれた職場を去ることはつらいけど、死にたくなって3日くらい泣いたけど、また自分に合う場所がきっとある。

 収入が入るようになって憧れの俳優に会いに行ったり、夢にまで見た刀ミュの世界を生で見ることができた。新作も信じられないくらい良席だった。健康も仕事もどん底だけど私は観劇したいから生きる。

 その間にアイドルにもはまった。女の子は可愛い。

 また推しの俳優さんが増えた。推しのことを知ろうとして、その人の価値観やこだわりに触れるのがとても楽しい。

 舞台に出会えてよかった。

 これから何にはまるか出会うかわからないけど、「好き」「知りたい」「尊い」そんな気持ちを持てることが私を生かしてくれているのだと強く思った。

 自分語り、誰得なんだよって感じ。

 でも、ブログの片隅になら埋めていてもいいような気がした。

 死にたくなってもおなかは減るって氣志團が歌ってたけど、ほんとそう。

 死にたくなっても推しの笑顔観たら笑ってしまう単純なオタクなんだな。

 また職探しがめっちゃ怖いけど、推しの言葉や笑顔や雄姿を思い出して乗り越える。

 頑張りはしない。

 私は生きるためじゃなく誰かのためじゃなく自分がオタクやるために働くのだから、最低限自分にできることを粛々とこなそう。