「世界には推ししかいないんだ。」

2・5次元の感想や俳優の茶の間ライフ中心にアイドルや声優についても書いてるブログ。

他界すると決めたら死にそうに辛くて、もう推しは作らないと泣いているひきこもりメンヘラの記録。

 こんばんは。

 毎日が空虚で生きる気力がない。

 

 芥川賞「推し、燃ゆ」が取ったんですってね。(私が死にそうになってるうちに)

 私この小説はっきり言って嫌いです。

 試し読みの30Pくらいで吐き気がして飛ばし読みしちゃった。

 きっと私が精神障害で茶の間オタクだからでしょう。

 

 オタクの中でも好みがわかれる、推しの設定がおかしい、主人公は茶の間のくせにこの程度で大げさ、そんな声がツイッターから見受けられました。(エゴサ

 大抵は「すごい」「おもしろい」「しんどい」「苦しい」。

 私が一番嫌いなところで、一番読みたかったところは主人公への救済。

 それがないのは、ただのはてブロでは??今一番答えが知りたい。

 私はどうやって生きていけばいいんだろう??

 

 私は推しとお別れをすることにしました。

 そう決めてからもうすぐ1か月が経ちます。

 所詮茶の間なのはわかっています。だから何が悪いの?現場オタクは嫌いです。

 

 そういえば7年前、人生で一番長く、現場にも通い、推していた方とお別れをしたのは冬の終わりでした。

 理由は、現場にいけなくなった。うつ状態の診断を受け、新幹線に乗れなくなり、現場に行けなくなったことで次第に彼への熱量も冷めていきました。

 収入がなく、お金をかけられないという理由もあったし、正直誰かを応援する気力もなかったとも思います。

 

 今回のお別れも、いろいろ原因はあれど、私が「推しを持つことに疲れた」ことが一番の理由なのかと結果として思います。

 

 2020年の私を支えてくれてありがとう。

 

 FCの期限が来月末なので、久々にライブ配信を見たら、涙が出そうで過呼吸になりそうで起き上がっていられなかった。

 声が好きだなとか、話し方が好きだなとか。

 こういうところが嫌いだな、正直モノすぎてキモイなとか、私とはこんなとこが真逆だな、しょうがない人だなぁとか。

 

 彼が口にした「みんないつも通りに絡んでくれてありがと」って言葉とか、「もし時間があえば近況とかなんでもいいから聞かせてね」って言葉に動揺した。

 きっと私の考えすぎ。

 私がコメントしなくなったことなんて気づいてないだろうな。

 優しいな、嘘つきだななんて思ったけど今の私は君のところへ戻れそうもありません。

 他にもここは気を配ってくれてるのかなとかいろいろ考えたよ。

 でもきっと、私がいなくなってもみんなが君を支えてくれるかなって思えたし、きっとそんな環境に君も慣れていくだろうから・・・あとは私自身の問題。

 

 推しの好きだと言った歌が聴けなくなった。

 それどころか別れを思わせる歌詞の歌さえも聴けなくなった。

 一日のうちで推しを思い出すことはほとんどなくなった。

 虚無感も以前ほどは感じなくなった。

 たまにしか見ないツイートも「しょうがない人だなぁ」って流せるようになった。

 (バカだなぁって男友達を見るようなテンションで)

 

 ライブ配信の告知ツイートだけは息が止まりそうになった。

 見たらまた自分の中で、間違いなく感情は動くから。

 もういいほうに戻ることはないとわかってるから余計につらかった。

 結果1時間弱、過呼吸になりかけた。

 情緒不安定になって死のうと思った。たくさん泣いた。体調も悪かった。

 

 でももしかしたら、柔軟に考えられる日が来るかもしれないと思ってFCの退会ボタンを押せないでいる。貧乏性なのもある。

 

 少し前にはみゆはんさんの「恋人失格」を聴いてガチ泣きしてた。

 ガチ恋ではなかった。

 でもやっぱ今のつらさは失恋に似ていると思った。

 

 食べる量も減って体重も減って、眠れなくなって・・・いつもの病院で相談したら

 「何かあった?」って聞かれた。

 あったといえばあったと答えたが、失恋に似た感情とはさすがに言えなかった。

 

 しばらくは生身の推しは作りたくないと友人に言ったら、生身wwwwと笑われた。

 

 だって彼が私の名前を呼ぶときの優しい声とか、めんどくさい性格とか、わかろうとしてくれる姿勢とか、約束すぐに忘れちゃうとことか・・・こんな想いはもうたくさんだと思った。

 

 まじめな理由もあって、去年からのオタクたちはかなり厳しい環境を強いられている。

 本人たちも辛いのはわかってる。私の推してきた彼は、そういった苦悩とかもファンに話す人だったから。愚痴も言うし。

 

 でも前の記事にも書いたから重ねてになるけど「かけてる熱量に対して返してもらうものがあまりにない」ことが理由のひとつだ。

 見返りをいつからか求めだして、ことごとく裏切られたと感じてしまったことも。

 

 現場が徐々に戻ってきて、オタクの格差が出てくることにも懸念があった。

 これは彼が悪いんでも現場オタクが悪いのでもない。

 そんなお金や情熱もないし、新幹線に乗れない私が悪い。

 そんなことを考えて自分を責めだしたら、本当に死ぬほど苦しかった。

 やっぱりみゆはんさんの歌を聴いて今夜も泣こうかな。

 

 彼以外の生身の推しの「夢が叶った」現場を見れなかったことも生身の推しを作りたくない理由になった。

 その現場にやはり私は行けなかったけど、配信という一縷の望みを信じていた。でも、そんなことすら叶わなかった。

 レポ記事なんかも読むのがしんどかった。

 

 私は疲れて、燃え尽きて、消耗しきっていた。

 推しが燃えたわけじゃないのに。

 自分からお別れを選んだ、のに。

 どんなにガチ恋に近しい想いを抱いていても、客観的に興味があるなしを選んでしまって推しを切り捨てる。それが私だ。

 だって人よりお金も体力もないのだから、そうするしかない。

 言い訳じみた言い方をした。取捨選択をするしかない。

 

 ブログもずっと筆が乗らなかった。

 言葉が珍しく少しもうまく出なくて、怖かった。

 

 物心ついたときから、ずっと「憧れ」を追いかけてきた。

 

 自分の夢もあったけど、覚悟もなくて投げ出した。

 私にはできっこなかった。

 親も抑圧がひどくて、私の夢をとにかく潰しにきた。

 それでも親から逃げられなかった。

 やりたくないことをして、逃げて、やりたくないことをして、精神を病んだ。

 

 努力のできる人間になりたかった。

 生身の推しが尊いのは、私が一番できない努力ができるからかもしれない。

 

 私は自分の人生の主役じゃなくていいから、親に書かれた筋書きを演じるモブでいいから、推しを応援したかった。

 

 夢を語る表情や、仕事への考え、パフォーマンス。

 ちょっと見せるプライベートな話題やダメなところ。

 そんないろんな顔を見て、尊いって言ってるのが私の生きがいだった。

 

 でも今は、生身の推しが信じられない。

 きっとしばらく生身の推しを作ることはない。

 生きがいを失ってしまった。

 私は何のために生きればいいのだろう?

 価値観なんて簡単に変わりはしない。

 

 自分の人生をちゃんと生きるのがきっと正解なんだろう。

 でも興味がない。

 自分という人間に。

 可能性も感じない。

 

 誰かを愛して、応援することでしか私は生きている実感が得られない。

 毎日もがいている。

 

 食べ物に関心がなくて、何も食べたいものがないし、仕方なく押し込む。

 寝付けないこと、昼間どうしようもなく眠いこと、外出困難で吐き気がひどいこと。

 本当になんで生きているんだろう。

 自分に自信がなくなった。

 推しに会えた頃は、強気な人間だったはずなのに。