こんばんは、かのです。
推しは秋が好きだと言うけれど私は秋が嫌いです。花粉症も気温差もつらい・・・推しとは好みがつくづく合わないなと感じますねwそんなむなしさをスルーすべくセンチメンタル気取ってbacknumber聴いて書いてます。ほんと好きなバンド。他にない才能。
さて、本題ですがオタクの「布教」というのは自分の好きなもの(アニメや漫画からアイドル、楽曲など広きに渡る)を純粋に仲間に宣伝し、新規ファンの獲得及び、語れる仲間を増やそうとする儀式。たぶん辞書に載せるならこんな感じ。
私は布教魔です。
される側だったこともあったけど、周りが私の性格をわかってるからか最近あまり勧められなくなったな。好みがはっきりしてるからなぁ。
私もはなから無視はもちろんしないし、おススメされて興味があれば自分から見たりします。ゲームならダウンロードしてやってみるしアニメなら見てみる。つまらなかったり合わなかったら無言ですけど、面白かったら教えてくれたことへの感謝を込めて感想を述べます。
布教のメリットデメリットを書かれているブロガーさんがいて、布教される側のメリットは「自分で新規開拓しなくてもある程度のクオリティのものに触れられる」ってのがありました。
私は新規開拓するの大好き人間なので布教魔なのかも。「こんな面白い沼あった!」って伝えて回りたいのかな。
だけど、私もたまには布教されたい!開拓するにも、自分の好みに近いものから攻めるからどうしても対極にあるようなものは手を出しにくい。
布教魔の喜びってなんだろうって考えたんですよ。そうしたらわからなくなった。
私がよく布教する友人は、完全に受け身の人間なんです。
「最近〇〇さん何ハマってる?」
「何かおすすめあったら持ってきて下さいね」
とか言ってみたら返ってきた返事がね
「私布教されるほうが好きなんです」
「〇〇好きだけどDVDとか持ってないので持ってこれないです」
さすがにいらっとしません?くれくれ星人と名付けていいですか?w
(私が単に信用されてない・嫌われているという可能性もあるが)
そりゃ布教されるほうがラクだしね。
そこで私が思ったのは、私個人としての理想のオタ友は布教「しあえる」仲間なのかなって。お互いがそれぞれの沼の語りをしててお互いあんまちゃんときいてなくても楽しいことってありません?そんな感じ。
布教は一方的じゃ楽しくない。自分がある程度時間とか削って見つけてきた娯楽をタダで提供するわけですから。
それで友人の質の悪いとこが、「とりあえずハマった(好きな)フリをする」んですよ。例えば刀ミュを勧めたら曲は覚えてくるけど芝居は無料配信だろうと見ようとしないんです。それなら全くかじってこないほうが私はいい。
たぶんこの考えは、私が「とりあえず人に合わせる」日本人的な文化が嫌いだったり、友人関係に損得を考えすぎる性格だからだと思いますけど。
自分の一番好きなものをそういう反応されたらバカにされたようでみじめになりません?ちょっとでもかじってくれて有難いと思うべきなのか、できそうにないな。
だから私は彼女への布教活動はやめようと思います。あっちも迷惑してたかもだしちょうどいいんじゃないかと。
布教というほどではなくとも、知り合いのアニオタと
「今期なに見てます?」
「それ気になってたんですけど、どんな感じ?私好きそう?」
みたいな軽い会話をするほうがお互いの為になるなーと感じました。実際に本や円盤を貸し借りや持ち寄る必要もなく、手軽なぶん合わなくても相手も覚えてないだろうし適当に流せばいいし。
あと、極論言うと布教してきた人より自分のほうがハマってしまうとか、同じくらいのレベルでハマってくれることってほとんどないんじゃないかな。そう思うと、一人で楽しんでても別にいいやって。
ツイッターとかやる人なら作品で他の人と繋がれば同じ温度の人は見つかるかもしんないですね。
そんなこんなで役名よりも俳優名が先に出てしまう感じの私は近い温度で語り合える人をネットにももちろんリアルにも作れそうになくなりました。
逆にリアルで偶然出会えたらすごい仲良くなれそう。(推しがかぶらない場合のみ)
結局オタ友いらねぇ、友達いらねぇっていう引きこもり精神を炸裂させてさらに趣味の新規開拓に力をいれる悪循環?いやインドアおひとり様としての最強ループ!w
それでは皆様の素敵なオタクライフをお祈りして終了します。