「世界には推ししかいないんだ。」

2・5次元の感想や俳優の茶の間ライフ中心にアイドルや声優についても書いてるブログ。

マスクシールド問題。なぜ2・5舞台は厳重なのか?

 こんばんは。特に書きたいことないよなーと思ったけど、書けてなかったことが1つあったのを思い立って書き出しておくことにしました。

 今週、エーライのライブビューイングに行くのだけど数日前に知らされたペンライト禁止問題。ドルオタ兼オタなのでテンション下がりすぎて「行きたくないー」ってずっと言ってたww

 ペンライトやタオルを振ることが「発生に繋がる行為のため」って理由にも納得できなかった。私らそんなサルみたいな脳みそしてないぞ??

 ライビュは楽日に行くので、キャストさんツイッターでお写真とか見てるけど衣装とか顔面は最高なのに「マスクシールド」あれな・・・だいぶ見えにくく改良されてはいるけど。

 冬単を家のPCで配信見たときは気になって集中できなかった。

 「キャラがマスクシールドしてる」のが個人的に許せないのです。

 なんで現実逃避して2・5舞台を観るのに、コロナのこと思い出しながら観なきゃないんだよ?って。

 なので冬単の感想は書きませんでした。個人的には不満たらたら。

 今回のエーライでオタク降りるか追う頻度減らすか考えるつもりでいました。

 家だと集中できなかったのでライビュ取ったけど、家でペンライト振りながら観たほうがよかったなぁ。これじゃ。

 うちは母が宝塚のオタクなのでこの話をしたら、「宝塚や劇団四季はそんなのしてないわよ」って。「え、そうなの??」驚きました。

 あんな大きいとこでさえしてないのに!?なぜ!??

 ロックオタクの弟にも、「バンドマンって無観客でも観客入れても配信ライブでマスクシールドしてんの??」「してない」。

 だよねぇ・・・そんな気はしたww

 そしてドルオタ兼任の自分は推しアイドルの無観客と観客ありのライブ配信どちらも見ましたが、もちろんしてないです。

 どころか、無観客のときは距離保ったフォーメーションになってたけど今月の観客ありライブでは普段のフォーメーションに戻ってた。

 それに、ハイタッチや肩に触れたりメンバー同士の接触は一切禁じられていないのです。

 観客も声援禁止なだけで一席開けての入場な程度。

 

 私は正直、2・5舞台関係者は過敏になりすぎていると思う。

 もちろん役者が感染しないためとか賛否両論ある問題だとは思う。

 でも一個人の意見として、観客と運営の温度差はあると感じている。

 舞台追うこと自体やめようとか興味なくなったって人たちが出てきても仕方ない。

 「舞台クラスター」問題があったのもあるのだろうけど、では宝塚や劇団四季はどうなのか??

 私はマスクシールドしている公演をできるだけ観たくないし、円盤だって買いたくない。ずっと記録として残るものなんて手元に置きたくない。

 そのくらい嫌悪感が強い。

 

 実際、声がこもって聴きにくかったりくもってるのが見えてしまったりもした。

 現場はそんなに気にならないだろうなとも思った。

 映像だとやはりアップ抜かれるから気になって仕方ないのだ。

 

 だから余計に音楽番組で葵咲のパフォーマンスが見れたのはとっても嬉しかった。

 歌番組だってアイドルなんかは当たり前にハイタッチとか接触しているのが目につく。パーテーション立てたりはしているけど。

 

 いつまで舞台界隈は厳戒態勢が続くのだろうか。

 私は舞台配信を見ても満たされない。

 

 そして推しがたまにぽつりと演じたいとつぶやくのがもどかしい。

 せつない。終わりの見えない闇の中にいて、それでも今できることを見つけて定めて挑戦していく推しくんのことがやっぱり私はいとしくてたまらないなと思う。

 彼らの苦しむ姿なんてもう見たくない。

 

 オタクやってて推しを見ていてこんなに苦しくなることが突然起こるなんて思ってもみなかった。

 いつ光が見えるのだろうか。

 オタクやることでしか希望を抱けない私のような人間は、今虚無の中で生きているなぁとすごく感じる。

 夢を追う人を応援することしか能がないのに、全力で夢を追えない彼らを心痛めて見るのはつらいな。

 同担との人付き合いはもう完全にいらんと思ったので最低限しか関わらない。

 もう推しがもがき苦しみながらも生きているから、私も朝起きようかなくらいの気持ちで生きている。

 人間は信じられないから、どうぶつの森にこもってどうぶつたちと暮らして島作りばかりしている。

 一人になりたい気分が強くて、とにかくほっといてほしい。たぶん外の世界は推し以外拒んでいる。推しすらも拒む日もある。

 世の中の空気に過敏な人間にはほんと生きづらさが増した令和2年。

 あと3か月か。1歳無駄にしたような気さえする。

 年明け、推しに誕生日祝ってもらうまでは生きる。