「世界には推ししかいないんだ。」

2・5次元の感想や俳優の茶の間ライフ中心にアイドルや声優についても書いてるブログ。

ブログは動画コンテンツに負けてしまうのだろうか。

 こんばんは。

 今日は、最近ふとしたときに考えていることを書いておこうと思います。

 なので、いつもとテイストは違うかも。

 

 私は、ネット配信者界隈でもオタクをやっています。

 その沼にハマってから、本当に動画なり音声の入ったコンテンツの人気をすごく感じています。

 普通にアラサーやってたら、Tiktokがこんなに流行ってることも、どんな動画があがっているのかも知らなかったと思うので、推しが見せてくれた新時代興味深いなぁと。

 

 私は小学生の頃から家にパソコンがあって、メールがパソコンでできることがすごいって時代の育ち。ガラケーは高校生まで買ってもらえなくて、スマホが普及したのは社会人になってから。

 学生のときにEメールしかなかったのは、連絡無精な私にはとてもありがたかった。

 今の時代の子たちは大変だなー24時間監視社会かな?とか思ってたんだけど、推しのファン層がこのへんなんですよね。

 

 それゆえ、推しはyoutubeTiktokツイッターもインスタもLINEもツイキャスもやる。

 ツイキャスは、地下アイドルのSHOWROOMの感覚に個人的には近い。

 で、もっと前ならネットラジオとかラジオの感覚。

 ツイッターもまぁ舞台俳優もちゃんと更新してる子はしてるので、生存確認。

 インスタも然り。

 LINEは、あまり推し関係で使うことはなかった。

 youtubeにはいろんなコンテンツがあるけど、それをショートにしたものをTiktokにもあげると海外でバズったりするらしい。

 なんかもうすごい。(時代も推したちも)

 

 結局、いつもみたく推しを崇める文章を書いている気がするのだけど・・・この問いを考えるきっかけが推しだったのだから仕方ない。

 

 私はこのブログも結構長いこと続けているけど、学生時代にもそのときハマってた界隈でブログをやっていた。

 ツイッターは苦手で、インスタは発信専用で工作したものとかの写真をあげている。

 そんな旧世代の人間なので、今の若者が普通に動画に顔とか声とか載せていることが信じられなかった。

 

 それでも自分が大学生くらいの頃に「歌い手」が出てきたことは記憶にあった。

 でも、それは誰でもやっていて誰でも人気者になれるものではないと思っていた。

 ずば抜けて声がいい、歌がうまい。そういう特別な人がやるものだと思っていた。

 少なくとも、当時誰もが知っている歌い手はそうだった。

 そして、この時代にはまだ「ニコニコ動画」の人気が強かった。

 

 私は、そこからしばらくネットカルチャーから離れていた。

 しかし、今や一般の人がラジオとか動画とかやろうと思えば誰でもできる。

 スマホがあればできる。

 だから、推しのりすなーさんもやっている子が多い。

 抵抗のない世代なのだ。

 

 私は正直、ラジオとかやるのは興味がある。声はそんなにいいほうではないが、話すのが好きだ。

 動画も手帳界隈の方みたく手元とテロップだけなら・・・。

 

 芸能人だけがメディア(表舞台)に露出する時代は終わっていた。

 特別な人じゃなくてもよりリアリティを持って、個性をアピールできる。

 

 私が推しの生配信で好きなのは、人生哲学とか声とか話し方とか咳払いの仕方とかだ。

 日々配信をしている配信者はコメントへのレスポンスが早く、上手い。

 みんなが模範的な返しをするでもなく、スタイルも各々にある。

 つまり、返しひとつとっても自分の個性を出せる。

 そういった、話し方でニュアンスを伝えるようなことは文字だけのブログにはできない。

 ゲーム実況などのテロップのような文字効果(フォントの大きさ・色)はギリギリつけられるが、多用するのはブロガーにはあまりないように見受ける。

 

 かといって私は、ブログに救われることもいまだ多々ある。

 ブログに限らずツイートなどでもそうだが、ネットサーフィンをしていて偶然たどりついた誰かの「考え」「体験談」を見れること。

 喋り方や話す声などはないが、思考の深くを推敲して文章に起こすことで、共感したり納得したりすることが多い。

 簡潔さ、短時間で伝わる、などの面は動画に負けてしまうが、たとえば「考察」なんかは動画とテロップよりもブログで見るほうが好きだ。

 同じ個所を読み返して納得することもできる。

 動画も見返すことはできるが、文章なら再び再生を押さなくともその箇所に視線をやればいい。(自分のペースで咀嚼できる)

 

 強いて比較するなら

 人の温度感だったり、リアルタイムなコミュニケーション、気軽に簡単に情報を得られることが動画や生配信の魅力。(厳密に言えば動画と生配信も似て非なるものではあるのだが)

 ブログの強みは、書き手の語彙力やユーモアでしか考えは伝わらないが、そこに書いている者の声や人物像があまり反映されないこと。

 ただ、検索したワードや「考え」を共有することでのみ繋がっていること。

 よくも悪くも中の人を感じさせない、書き手を自由にイメージできることだろうか。

 

 ただし、上記のような「差別化」は有名人で顔や声を出している人ではない場合に限る。

 有名人も音声コンテンツや文章コンテンツ多岐に渡って収益化しているが、その場合の運用はまた異なる。

 今回の仮説は、あくまで一般人の場合に限ってのことなのでご了承下さい。

 

 ブログの未来は、新しいものをどれほど受け入れて活かしていけるかのように感じた。

 

 小説などの文学としての文章はなくならないように思う。

 しかし、素人の書いた長い文章を読む層は間違いなく減っていくのではないだろうか。

 

 しかし、昔流行った携帯小説のように、「なろう系小説サイト」が流行ってアニメ化も相次いでいるだけに・・・文章書きのネットでの居場所が必ずしもなくなるわけではなさそうだ。

 

 新時代のコンテンツと、ブログどちらも使いこなせることが今後の強みになるのではないかと感じた。(でもSNSや動画に抵抗感ある)

 

 こういった難しいことを考えて文章にまとめるのが、とても苦手なのでタイトル負け覚悟で書きました。練習していきたいものです。